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フィル・ラモーン氏死去。ビリー・ジョエルやトニー・ベネットが追悼

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$HIGH-HOPES管理人のひとりごと(洋楽ロック)

既にニュースでご存じな方も多いとは思いますが、プロデューサーとして数多くの名盤にかかわったフィル・ラモーン氏が3月30日お亡くなりになりました。報道によると享年79歳。大動脈瘤だったみたいですね。

僕なんかは学生の頃、ビリー・ジョエルでお名前を知りました。『ストレンジャー』以降『ニューヨーク52番街』をはじめほとんどの作品、ビリーと言えばフィル・ラモーンというイメージでした。

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ビリーは自身のオフィシャルページでR.I.P Phil Ramoneというページを作り、下記コメントを発表。
http://www.billyjoel.com/news/rip-phil-ramone

"I always thought of Phil Ramone as the most talented member in my band. He was the band member that no one ever ever saw onstage. He was with me as long as any of the musicians I ever played with - longer than most. So much of my music was shaped by him and brought to fruition by him. I have lost a dear friend - and my greatest mentor. The music world lost a giant today." - Billy Joel

私はフィル・ラモーンを、最も才能ある「バンドメンバーの一員」だと思っています。勿論、裏方の彼をステージ上でお目にかかることは無かったはずしょう。私と彼は、大変長い付き合いになります―それは他のどのミュージシャンよりも。そうして共に時を過ごす中で、私の音楽の大部分は彼の手によって形づけられ、フルーツのような魅力が宿された。そう、私は素晴らしい相談役、そして真の友をなくしたのだ。音楽世界の巨人、ここに没する ― ビリー・ジョエル


ビリーとフィル・ラモーンとの出会いは『ストレンジャー30周年記念盤』ボックスセットで語られていました。

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フィル・ラモーンに会う前にジョージ・マーティンにプロデューサーの話を打診してたそうで、ただ、やる条件にスタジオ・ミュージシャンの起用を求めた。ビリーは自分のバンド以外は嫌だったから断ったそう。

 フィル・ラモーンはカーネギー・ホール公演から遡ること約1年前の1976年春に、カナダのトロントで開催されたコロンビア・レコードのコンベンションで、ビリーのパフォーマンスを目撃している。その時初めてビリーの存在を知ったラモーンは、観衆を魅了するビリー・バンドのエネルギッシュなステージが印象に残ったという。プロデューサー候補として、ビリーから6月3日のカーネギー・ホール公演に招待されたラモーンは、再び迫力あるパフォーマンスを目の当たりにし、ビリーのバンドから発せられるその荒削りで、迫力あるサウンドに好感を覚えた。その夜帰宅すると、豊富なエンジニア経験を持つラモーンは過去のビリーのアルバムを聴き、レコードに欠けている問題点を整理し、ビリーとの翌日のミーティングに備えたという。そして、ミーティングの場でラモーンは、カーネギー・ホールでのステージから発せられていたパワーをそのままレコード盤に刻み込むにはバンドの存在が不可欠であるとしバンドを使ってのレコーディングを快諾したのである。名のあるプロデューサー達に、ことごとく自分のバンドを否定されてきたビリーだったが、ようやく理解のある有能なプロデューサーに巡り会えたのだった。フィル・ラモーンは、こうした《ストレンジャー》の候補曲の数々をビリーに聴かせてもらい、最終的にアルバムのプロデュースを決断したのである。

あとはこんなエピソードも

「ストレンジャー」
この曲を収録した後にこの曲には 何か前奏が必要だって話したんだ。出だしが際立つような前置きがね。だから考えてたメロディーをフィルに聴かせて “次に楽器でこう奏でる”と口笛を吹いたんだ。どの楽器がいいか聞いたら彼はこう答えたーーー“それだ”って。

「素顔のままで」
 フィル・ウッズのサックスは6つのソロパートを合体させてるフィルが 気に入った演奏を選び抜き継ぎ合わせたんだ。テープを手で切ってつないでた時代だよ。彼が切るのをヒヤヒヤして見てた。でも心配は無用だったね。続けて演奏したかのようにスムーズだった。収録後のことさ。バンドの連中とこの曲について話してたんだ。“女っぽい曲だしどうなのかな”ってね。アルバムに入れべきるか悩んでた。
 フィルラモーンにフィービ・スノウがリンダ・ロンシュタットと来て絶賛するから迷ってると伝えたすると“入れなきゃ!”と一喝されてね。そこまで言うのならってアルバムに残すことにしたんだ。まさかグラミー賞を受賞するとはね。


ビリーだけではなく様々なアーティストの裏方として活躍
こちらを見ていただければ、いかに凄い歴史的なレコーディングに立ち会ってることか。
http://www.allmusic.com/artist/phil-ramone-mn0000334243/credits

ディランの『血の轍』、 スプリングスティーンやポール・マッカートニー、リンゴ・スター他、僕の大好きなアーティストのアルバムでもよく見かけた名前でした。グラミー賞にはこれまで33回ノミネートされており、14回受賞。

近年僕が担当したアーティストとしては、トニー・ベネットの『デュエッツ』シリーズが印象的。特典DVDなどでとってもお元気なお姿を見せてくれていました。

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そこで語ってた印象的なフレーズが

「トニーが曲を作り込み、それを分かち合う様は実に見事である。彼は寛容に、暖かく見守り、パートナーにもソロの見せ場を作りながらその後二人の曲がクライマックスを迎えるのは見ていてワクワクする。トニーのレコーディングでは下準備と真心がゲストにライブ・レコーディングの感覚を体験させる。スタイルに制限のない大きなキャンバスなんだ」
「歌い始めた瞬間、その曲の世界が目の前に広がるんだ。本人は説教などしてないのに相手は必ず何か学んでる。1分歌っただけでショービジネスを学習できる。」

―――フィル・ラモーン(プロデューサー)

トニーも訃報に際してメッセージを寄せました
「愛すべき人、フィル・ラモーンは、生まれながらの才能を持ったミュージシャンでありプロデューサーだった。素晴らしいユーモアのセンスと音楽への深い愛情を持った彼と、多くのプロジェクトでレコーディング・スタジオを共にし、仕事が出来たのは喜びだった。エンターテインメント業界の誰からも賞賛と尊敬を集めるフィルを失ったことは、大きな損失だ」

その他、多くのアーティストたちも


スティーヴィー・ワンダー
「数々のスター達の裏側のスターたちの中でも、一層の輝きを放った偉大な人物でした」

ジョン・レジェンド
「伝説的なプロデューサー、フィル・ラモーンのご冥福をお祈りします。彼と仕事をする機会を持てたことは幸運でした」

グロリア・エステファン
「親愛なる友人で盟友だった、無比のフィル・ラモーンへ祈りを捧げます。友よ安らかに。私たちはあなたのことをいつも想っています!」

ロブ・トーマス
「ご冥福をお祈り致します。我々は音楽界の最も偉大なプロデューサーで、真のパイオニア、偉大な人物を失ってしまった」

ジョシュ・グローバン
「フィル・ラモーンの死で悲しみに暮れている。彼は素晴らしい友人であり、真の音楽クリエイターだった」

マーク・オコーナー
「本当に辛いニュースだ。素晴らしい友人、フィル・ラモーンという伝説的なレコード・プロデューサーを失ってしまった」

アール・クルー
「偉大なプロデューサー、フィル・ラモーンが亡くなったと知ったばかりで……信じられない。我々は素晴らしい才能を失ってしまった。ありがたいことに、彼の音楽は生き続ける」


ご冥福をお祈りします。。。



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