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Channel: HIGH-HOPES(洋楽ロック)
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10年前の入院話「入院ロック」:自戒の念も込めて再掲載しちゃいます。

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約10年前、2002年でしたかね。エアロ・ベストやらワールドカップのコンサート(エアロ、ローリン出演)やらなんやらで、地獄の日々を送っていたころ、入院した時の思い出話。過去ファイル探してたら出てきたので、こりゃ懐かしいしおもろいかもと。太一さんのAAAサイト用に書いたエッセイでした。これ読むとちょうどブルースのThe Risingの頃なんだなあ。

当時は39歳だったわけですが、それまでの不摂生が溜まってこんなことになってしまい。胆石はなめたら大変なことになるみたいで、人間ドックで発見され、その後しばらく経過観察だったんですが、ミゾオチがぐーっと締め付けられるような痛みで冷や汗だらだら。さすがに我慢も限界で病院行ったら・・・「切っちゃいましょ」って話に。皆さんご注意してくださいね~。自戒の念も込めつつ。以下2002年夏くらいの物語でございます

<入院ロック>

人生で初めて本格的に入院した。病名「胆石」。日ごろの不摂生、日々の生活習慣から、僕の胆嚢(たんのう)には直径2cm大の石がスクスクと育っていたようだ。もちろん、身体にメスを入れられるのも初めて、全身麻酔も初めて、点滴で生活したのも初めて、胆嚢や肝臓の場所も今まで自分で想像してたとこと全然違ってた。病気シロウトの僕にとって、1週間の入院は、ちょっと休めるかな~などとタカをくくっていた入院生活というものは、僕の想像を遙かに超えるものだった。。。

手術自体は約1時間、胆石の手術は今はすごく楽になっているようだ。昔だとオナカをメスでパックリって感じだったようだが、今は4つの小さな穴をハラにあけ、内視鏡での手術となる。へその下に開けた穴からはカメラ(胃カメラみたいなヤツ?)を入れ、みぞおちから右斜めに向かって3つ開けられた穴に何らかのモノを突っ込んで、お医者さんはカメラによって映し出される映像をモニターで見ながら、他の3つの穴から入れたヤツを駆使して、胆嚢ごと切りとっちゃって、引きずりだすらしい。まあ、全身麻酔なので、その辺は全く覚えてはいないのだが、手術室へ入った時、かすかな記憶に残っているのは音楽であった。とても安らかな音楽がかかっていたのをおぼろげながら覚えている。音楽がもたらす精神的な安らぎの効果とでも言おうか、とても無機質なイメージの手術室の中での最後の記憶は、これから行なわれる手術の不安感よりも、その音楽が醸し出す安らかな感覚だったのである。

手術後、記憶が戻ってきたのは病室のベッドの上だった。朦朧とした中、麻酔が切れてくると当然痛いのだが、それは痛み止めでなんとかなる。それよりも、何よりも、厳しかったのは、病室(6人部屋だった)の中で夜中こだまする「サウンド」である。夜の9時には消灯、とはいっても、そんな時間にはなかなか眠れるモノではない。それでも何とか寝ようと思っても、眠らせてくれない状況が待っていた。突然の雄叫びや、地を這うような唸り声が聞こえてくるのである。突然「ウッ」とか「アッ」とか「ハア~…」とか溜息と唸り声が混じったような何とも言えない微妙なサウンド。それが左右、前からサラウンドで聞こえてくる。文字ではなかなか伝わらないかもしてないが、その中でも一番衝撃的だったのは、右斜め前の爺さんがお小水がでなくなって悶絶してたらしく、ナースコールで看護婦さん、お医者さんがドドドーっと集まって来たかと思ったら、看護婦さんの優しい声で「はい○○さん、自分でおしっこするのむずかしそうなので、自然に排尿できるようにしましょうねえ・・・はい、ちょっと痛いかもしれませんが我慢してくださいねぇ~」と軽やかに言ったとたん、今まで聞き取れない声で呟いていた爺さんが「ギャー、イテ、イテ、イテェー、ヒエ~」と、背筋が凍りつくような叫び声が真っ暗な部屋の中を貫いた。そのあまりにも悲痛な叫びに驚きつつ、冷静にいったい何が行われているのか?と想像すると・・・男性諸氏だったら判ってもらえるはず。考えただけで痛くなる、いわゆる何らかの管を膀胱まで突っ込んでいるわけですよ、当然麻酔なしで。あの暗い部屋にこだまする雄叫びは一生忘れられないし、いざ自分にそのような行為をされると想像すると・・・二度と病院にはお世話になるまいと、心に強く誓った。。。

前置きばかりが長くなってしまったが、僕はそんな事件があった後、夜な夜な他の“サウンド”を排除するため、ヘッドホンで音楽をむさぼるように聴いていた。先ほど手術室での音楽の話をしたが、音楽が持つ力の素晴らしさの一つには、人間の心に安心感を与えたり、救いや癒しを与えてくれることがあると思う。それは逆境や苦しい状況であればあるほど、絶大な効果を示すのではないかなとも思う。僕が入院する前に用意したCDはブルース・スプリングスティーンのこれまでのカタログ一式だった。こんな状況になるとは露知らず、仕事柄、単に時間があるときにもう一度しっかり彼の全ての作品を聴きなおしてみようと思っただけだったのだが、自分の傷の痛みとともに、病院というある種、死と隣り合わせの環境の中にあって、彼の歌によって様々な想いが僕の頭の中を駆け巡った。サウンド的にはアルバム『ザ・リバー』あたりの軽快なR&Rは当然沈んだ気分をちょっと高揚させてくれたのだが、不思議だったのは、普段どちらかというとあまり聞いていなかった、アルバム『ネブラスカ』のアコースティックな響きや90年代中期の「ストリーツ・オブ・フィラデルフィア」や「シークレット・ガーデン」のような、あの時期のブルース特有の浮遊感のあるキーボードを中心とした淡々としたサウンドが、なぜか心を一番落ち着かせてくれ、その時の気分にぴったりとはまっていた。また、歌詞でいけばニュー・アルバム『ザ・ライジング』の「ユー・アー・ミッシング」が効いた。この曲は9.11でお父さんを無くした家族の情景を描いた歌であるが、一方で、誰でもどこかで感じたことがあるような“喪失感”を描いた普遍的な内容ともとれる。僕はこの曲を何度も繰り返し聞きながら、自分自身に思い当たる、ある喪失感を思い描いて涙した。いつも対訳をお願いしている三浦久さんがブルースの詞や世界観について「情景を淡々と映し出すカメラマンの視点のようだ」と表していたが、ブルース作品における彼の視点は、リスナーに何かを気付かせる。そして、リスナーはその作品に自らを投影し、歌の世界に何らかの共通稿を見出していく。重要なのは(勘違いされがちだが)、ブルースの歌は結論を断定したり、こうするべきだとか、一つの方向に人々を導いていくといったものではない。だから、ブルースの歌は、一人一人のいろいろな解釈によって、リスナー「一人一人の物語」に成長していく、そんな不思議な魅力を特に持つ作品が多いと思う。

もう一つ、音楽の持つ素晴らしいことの一つに、その音楽を聴いたシチュエーションを思い起こさせてくれるということがある。いわゆる「この曲を聴くとあの頃を思い出す」といったあれだ。これは必ず誰もが何らかの形で経験していると思うが、今回の僕にとって、ブルースの「Born To Run」はある種“救い”ともなった歌である。当然前から好きな歌ではあったのだが、ベッドの上で目を閉じて、ヘッドホンでこの曲を聴いていた時、思い浮かんできた光景は、毎回コンサートでこの曲を演る時の“あの瞬間”。。。古くは85年ブルースとEストリート・バンドが初来日した代々木オリンピックプールでも、つい先ごろの8月7日のライジング・ツアーNJ初日公演でも、観る度に訪れる至福の時。ドラムロールでこの曲が始まった瞬間、会場中の客電という客電がこれでもかってくらいに一斉に点灯し、ステージ、客席、会場中ありとあらゆるところを全てを照らし出す。みんな周りは知らない人だけど、その夜だけは、その場にいる誰もが、全てが何か繋がりを持てたような、究極のロック・エクスペリエンス!究極の一体感を感じられる瞬間。ロックのライヴの楽しさ、素晴らしさ教えてくれるようなその瞬間へと連れて行ってくれるのである。ちょっと不安な僕の心のもやもやを見事に吹き飛ばしてくれ、僕に「力」を与えてくれた。

とにもかくにも、1週間で僕の入院生活は終了した。その間の非日常的な空間で起こった出来事は、まだまだ、こんな程度では語り尽くせないが、いい人生勉強にはなった。お医者さんが、僕のからだの中から取り出した直径2cmの見事なたまご型の石をプレゼント?してくれた。何ともいえない妙な感じだが、捨てるという気にはまったくなれず、どちらかというとどこか愛着のある、分身?のような気もして、箱しまって大事に抱えて持ち帰った。その石を見るたび、きっと、あの爺さんの雄叫びと、夜な夜なベッドで聴いたブルースのことを思い出すことだろう。また、今回もし、ブルースの日本公演が実現して、「Born To Run」のドラムロールが聞こえて、客電が点くその“瞬間”になったら、今回の入院生活のこととかがフラッシュバックしてくるかもしれない。。。ん~でも、せっかくのその瞬間に、それはちょっと微妙だなぁ…。


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