【ブルース・スプリングスティーン『ザ・ライジング』20周年記念:2002年アズベリー・パーク紀行】
第3回
Greetings from ASBURY PARK,N.J. Summer 2002
取材・文/安川達也
●7月6日 土曜日
「で、ブルースは来たの?」
ボードウォークで1959年から営業しているというハワード・ジョンソンズ・レストランのドリーさんが、でっかいコーラを差し出しながらランチを食べている僕に聞いてくる。今日は朝からこの話題をよく耳にする。滞在ホテルのエレベーターのなかでも熟年夫婦らしきふたりが昨夜のニルス・ロフグレンの演奏は良かったと言っていたし、ブレックファスト・ルームでは、おっさんの「グローリィ・デイズ」の鼻歌を聞いた。
「昨夜ブルースは来ませんでした」
「あら、残念。ニルスとゲイリーだから絶対ステージに上がると思ったのに」
「ダニーの飛び入りもあったので、会場のいたみんなが同じことを期待していたはずです」
ドリーさんは金曜日の夜は、店を閉めるわけにはいかないらしく目と鼻の先にあるストーン・ポニーに行きたいのを我慢していたらしい。どうやら2代目店主として店を切り盛りしているようだ。いまは土曜日の昼時だというのに、この店に客は僕とカウンターに座っている老人だけ。金曜の夜だからといって昨晩ここは賑わったのだろうか。店は潮風にさらされてサビついていて、テーブルもガタガタ、かなりの年期を感じる。彼女のかわいい娘さんがさっきからチラチラと僕のことを見ている。ウィンクしたらびっくりして逃げてしまった。やっぱりアジア人がここにくるのは珍しいのだろうか。
「たま~に見るわよ。あなたにみたいにカメラを持って歩いてる……あなた日本からだっけ?」
ハワード・ジョンソンズ・レストランの隣には、ボードウォークのランドマーク的存在のコンヴェンションン・ホールとパラマウント・シアターが建っている。前者は集会所であると同時にこの街最大の多目的ホールとして街の催しもので利用されることが多いが、ブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドはここで99年のワールド・ツアーのリハーサルを行った。後者は文字どおり映画館なのだがいまスクリーン上映されることはほとんどないらいしい。ブルースは77年の“ダークネス・オン・ザ・エッジ・オブ・タウン・ツアー”のやはりリハーサルにこの場所を選んでいる。この建物を抜けて反対側に出てみる。人影がない。昼間から酔っぱらっているのだろうか。浮浪者が僕に近づいてきてなんだかわめいている。
コンヴェンション・ホールとパラマウント・シアターの裏側から写真を撮っていると、ひとりのメガネをかけた白人の中年男性が話しかけてきた。気のよさそうな人だ。
「とてもいい建物だろう。いま修理中だけどね。で、なんで写真撮ってるんだ?」
「日本から取材にきたんです」
「もしかしてブルースかい?」
「はい」
「そうか、やっぱり昨晩ブルース来たんだ!」
「いや、僕は彼を取材にきたわけではなくて、彼にまつわる……」
ボードウォークで木工業の仕事をしているリッチさんもかなりのロック好きらしい。ブルースの話になると止まらない。ウイ~ンうい~ん。彼のうしろでチェインソーが回ったままなのが気になる。大丈夫なのだろうか。かなりの早口なのでなにを言っているのかほとんど分からないのだが、デヴィッド・サンシャスの名前が飛び出してきたときには驚いた。Eストリート・バンドの初代キーボーディストだ。『青春の叫び』の裏ジャケットにもしっかりと写っている。
「デヴィッドは知ってるだろう。彼の父親はいつもボードウォークいるんだ。一日中イスに腰かけてるよ。ちょっと行ってみようか、おもしろい話が聞けるかもしれない」
一緒にボードウォークを歩く。どうやら今日にかぎって座っていないようだ。僕以上にリッチさんのほうが悔しがっているのがおもしろかったが、彼はほったらかした仕事に戻っていくようだ。
「ところでリッチ、いちばん好きなブルースのアルバムは?」
「ハングリー・ハートだな」
それはシングルだよと突っ込もうとしたが、笑顔で握手をして別れた。
午後3時。ホテル内のオフィスにリウさんを訪ねる。いちどインタヴューされてみたかったという彼女はなんだかそわそわしているようだ。昔おぼえた日本語を久しぶりにたっぷり使えることがなによりも嬉しいと言いながら、アズベリー・パークのことを話しはじめる。
「この街の歴史はこのThe Berkeley Carteret Oceanfront Hotelの歴史と同じです」
「そういえばさっきボードウォークで知り合ったリッチさんという人がこのホテルとコンヴェンション・ホールは同じく1926年に建てられた歴史的建築物だって言ってましたね」
「はい。設計者が同じで、NYのグランド・セントラル・ステーションも手がけた人です。以前はここの8階のスィート・ルームにジョニー・キャッシュが長く滞在していたこともあるんです」
ジョニー・キャッシュは言わずと知れたカントリー・ミュージック界の大御所だが、90年代以降はレッド・ホット・チリ・ペッパーズらジャンルを超えたアーティストとの共演も多い。85~90年の滞在中にブルースが彼をホテルに訪ねにきたこともあると教えてくれた。そういえば99年4月に行なわれた彼のトリビュート・コンサートにはブルースもU2らと出演していた。
「ここがジョニーが5年間暮らしていた部屋です」
リウさんがわざわざ8階まで案内してくれた。なんだ、僕が滞在している7階の部屋のちょうど真上じゃないか。だいぶ見慣れてきた景色、目の前に拡がる大西洋をリウさんと眺める。
「リウさんいまあそこで海水浴をしているファミリーが見えますけど、3年前の夏に来た時はあんな光景はなかったんですよ」
「ここ3年でだいぶこの街の治安も良くなってきました。ご存知かもしれませんが、50年代にはこのビーチは夏にあると海水浴客であふれかえっていたんです。私も絵葉書でしかみたことがないんですが。NYからも大勢の観光客が押し寄せて、このホテルもいつも満室だったらしいです」
たくさんの人でにぎわうボードウォークを僕はブルースのデビュー・アルバム『アズベリー・パークからの挨拶』のジャケットのなかで見たことがある。ここで使われている絵葉書部分は、昨夜のニルスの野外ライヴ・ステージ上にも掲げてあったが、どうやらこの街の復興シンボル・ピクチャーになっているようだ。ちょうど8階の目の高さと同じ位置にある目の前のコンヴェンション・ホールの壁にGREETINGS FROM ASBURY PARKの電飾文字が取り付けられているところだった。へぇー、夜のビーチ・サイドにこの文字が浮かびあがるわけか。
「60年代にここから50キロほど南にいった所にカジノの街、アトランティック・シティができてからみんなこの街を素通りするようになりました。70年代にリッチな白人住民はここから北に移動し、80年代には巨大な老人ホームができました。あの大きな建物がそうです」
このあたりでは場違いとさせ思える地上20階以上の小麦色のビルはホテルかと思っていたので驚きだ。眩しいほどの太陽がふりそそいでいるのにも関わらず、この街を包み込むセピアの色のノスタルジックさと暗く陰湿な雰囲気はいったいどこからくるものなのだろうか。以前、70年代にこの街で人種暴動が発生したという記事を呼んだことがある。
「いまさすがに暴動はないですが、ちょっと前まではドラッグの売買が日常茶飯事のように行なわれていました。街の住民の大半は低所得者、黒人で、あなたのようなアジア人はいません。3年前にはディーラー同士の銃の撃ち合いもありました。いまでもたまに銃声を聞きます。私はボードウォークで血まみれになって倒れている人をみたことがあります」
「僕をNYからここまで運んでくれたハイヤーの運転手も危険な街のイメージがあると言ってました」
「確かに危険なところはたくさんあります。でも街はいま計画的に復興中で、コンヴェンション・ホールの修理もその一環です。ボードウォークも木の板も張り替え作業も進んでいます。 警察の車がいつもこのビーチを巡回しているのも治安を良くするためです。街の再興運動があちこちで進んできて、ビーチにも人が戻ってきてるんですよ」
ニュー・アルバム『ザ・ライジング』の最後を締めくくるのは「マイ・シティ・オブ・ルーインズ」だ。“廃虚と化した俺の街”はそのままNYのロウアー・マンハッタンに置きかえることは簡単だが、じつはこの曲は同時多発テロ以前に書かれたものだ。“さぁ立ち上がれ”とエールを贈るこの曲は、元々アズベリー・パークに捧げられたものではないのだろうかという書き込みをファン・サイトで見かけたことがある。僕もまったく同感だ。この曲を包むオルガンの音色が頭のなかで駆け巡る。
「そうだ、今夜ビーチに独立記念を祝う花火が上がりますよ」
「え!? 7月4日はもう過ぎているのに?」
「それはNYとかの大都会だけです。普通アメリカでは花火を上げるのは週末ですから」
今夜、人種を問わず街中の人がボードウォークに集まるらしい。「7月4日のアズベリー・パーク」の本当の舞台はこれからやってくるようだ。
この街にはこんなにたくさんの住民がいたのか。ボードウォークに集まる数多くの人たちを横目に僕は今日もストーン・ポニーに向かう。昨日のうちに今日のチケットを入手しておいてよかった。昨夜の約2倍の人たちが当日券を求めて長い列を作っている。今夜の主役はクラレンス・クレモンズだ。Eストリート・バンドの古参メンバーで、ステージではいつもブルースの右にどんと構える巨人サックス・プレイヤーだ。ブルース・スプリングスティーンとクラレンス・クレモンズとの出会いは、70年、いまはなくなってしまったアズベリー・パークの小さなライヴ・ハウス、アップ・ステージということになっている。実際のところよく覚えていないというブルースの発言記事も最近になって読んだ。いずれにしてもこの肌の色の違うふたりの出逢いが、「友情」「信頼」「絆」というEストリート・バンドのテーマの原点であることには変わりない。
クランス・クレモンズのライヴも昨夜のニルス同様に野外セットでスタートした。最新アルバム『Peacemaker』に収録された曲を中心に展開されるファンキーなステージ。ロックンロール云々よりもサキスフォンからくりだされるファンキーなグルーヴが会場を包み込み、夕闇のダンス・ホール・パーティを演出する。Eストリート・バンドでは仁王立ちしているだけでその存在感を醸し出すのに十分なのだが、自己名義バンドとなるとフロントマンとしての役目を務めなければならない。今夜のビッグマンはよく動く。止まって演奏することがほとんどない。
ファンキーなメロディアスなインストゥルメンタル「パラダイス・バイ・ザ・C」はやはり盛り上がる。今夜飛び出した一発目のブルース・スプリングスティーン・ナンバーだ。78年の“ダークネス・オン・ザ・エッジ・オブ・タウン・ツアー”の第2部のオープニング・ナンバーとして知られているが、この曲に歌詞はついていないはずなのに歌っている観客が多いのが気になる。85年にジャクソン・ブラウンとデュエットしたソロ最大ヒット「フレンド・オブ・マイン」はさすがに人気がある。肩を組んでビールを乾杯する観客の様はそのままこの曲を体現しているようで微笑ましい。
曲がクライマックスに差しかかったころ、僕らの背中に明かりが照らされる。リウさんが言っていた独立記念花火だ。ライヴ会場が野外なだけに、打ち上げ音がバスドラ以上に腹に響く。ドカーン、ドカーン。日本の花火大会でも見られるような特大なスターマインがアズベリー・パークの空に舞う。ステージでは「ピンク・キャディラック」が始まった。今夜2発目のブルース・ナンバーへの歓喜の声が一瞬、花火の打ち上げ音をかき消す。“Spending all my money on a Saturday Night”。なるほど、今夜の気分にピッタリだ。『花火を見たい奴は気にせずに俺に背中を向けてくれ』。クラランスは冗談で言ったのだろうが観客の大半が本当にクルっとまわって夜空を見上げているからおもしろい。この人たちは自分が楽しむことを何よりも優先するようだ。さっきから目の前の若いカップルと目が合っているのが気持ち悪いので、僕もクラレンスに背中を向けることにする。きれいな花火だ。「7月4日のアズベリー・パーク」で描かれたサンディの頭上に降り注いだ七色の光だーー。
野外ステージが終わると、屋内でニック・クレモンズ・バンドの演奏が行なわれるアナウンスが流れる。さっきまでステージに立っていたクラレンス・クレモンズの息子がフロント・マのバンドだ。アナウンスだけでかなりの歓声があがっていたので、地元ではそこそこ人気があるようだ。昨夜と同じように観客の屋内への移動が始まった。今日もSEにブルース・スプリングスティーンが使われるのだろうか。
……始まった!「表通りにとびだして」「明日なき暴走」「ハングリー・ハート」 「バッドランズ」「ロザリータ」。怒濤の5連発。それも後半4曲は昨夜と違って『The “Live”1975-1985』の音源を使っているのがニクい。反則に近い演出だ。昨夜以上の大合唱。狂喜乱舞とはこういうことをいうのだろう。音が表にも漏れているのだろう。入口にもたくさんも人だかりかできている。あ、やっぱり歌っている。強行突入しようとする者を弾き返すセキュリティの兄ちゃんはWWEのスティーヴ・オースチン似だ。あんなデカい奴に正面から組まれたらなす術ない。とにかくお世話にだけはなりたくない。
ニック・クレメンズ・バンドは、ファンクとジャズをブレンドしたロックンロール・バンドと形容するのが適当だろうか。 演奏前から主人公の座を“この会場にはいないひとりの男”にみごとに奪われる形になってしまったが、そのことはクラレンス・クレモンズがスペシャル・ゲストとして再びステージに上がると一気にクライマックスへ。
『俺の親父はこの曲をどう思っているかしれないけど、俺たちが尊敬するあの人のナンバーを今夜ここにいるみんなに』。
鍵盤から流れるメロディは「暗闇へ突走れ」。またもや割れんばかりの大歓声がまき起こる。観客の視線がサックスを抱えるクラレンスに注がれる。
“Hey、ビッグマン、あのメロディを奏でてよ”
クラレンスには事前には知らされていなかったのだろう。親父は照れくさそうな笑顔を、息子はしてやったりの表情を浮かべながら、一緒に演奏する。
“Prove it all night,I prove it all night”
ストーン・ポニーを埋めつくす観客の大合唱が真夜中のアズベリー・パークの夜空に鳴り響く――。
(続く)
●ザ・ライジング The Rising
2002年作品。盟友Eストリート・バンドとの'84年『ボーン・イン・ザUSA』以来18年振りとなるオリジナル新作。9.11にまつわる「歌」を真正面から取り上げてはいるが、愛国心を鼓舞するものでは全くない。愛する者を失った人たちの喪失感、悲しみ、絶望、傷ついた人々へのいたわり、救い、祈り、励まし、そして希望を託している。全米1位記録。
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