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ちょっと遅くなっちゃいましたが、3/17(日)17:30〜18:30でウドー音楽事務所50周年記念展「海外アーティスト招聘の軌跡」でのトークイベント「レコード会社の歴代名物ディレクターが語る洋楽アーティストたちの素顔」について。CBSソニー、EPICソニーの黄金時代を作った大先輩の野中規雄さん、喜久野俊和さんが登場されて、こんなテーマでお話進行しました。
*お二人のプロフィール(入社、ディレクター時代、担当アーティストなど)
*初めて行ったウドーさんのライヴ、思い出
*エアロスミス 1977年初来日 野中さん
*ジャーニー 1979年初来日1981,2,3年来日 喜久野さん
*ザ・クラッシュ 1982年初来日 野中さん
*ビリージョエル 1978年初来日~1984年,のイノセントマンツアー 喜久野さん
*ブルース・スプリングスティーン 1985年初来日 喜久野さん
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いろいろネタもご用意してたんですが、やはり1時間では語り切れず・・・せっかくなので質問のために作っておいたネタ帳をご参考までに下記に残しておきます。あとは元ネタとなってるお話は、お二人のブログにびっちり書かれてますので。是非それらをお読みいただけますと!とっても面白いですので。
ウドー展も3月31日までですからあとわずか!まだ行ってない方は是非!その模様はこちらの野中さんのブログにばっちり魅力が書いてあります
●ウドー50周年記念展「熱音時代」の風景
https://ameblo.jp/nihonyogaku/entry-12448053823.html
●ウドー音楽事務所50周年記念展覧会「海外アーティスト招聘の軌跡」は有楽町前マルイで3月31日まで。
https://50th-exhibition.udo.jp/
<野中さんのざっくり洋楽経歴>
●1972年 入社
●1974年 ディレクターになったばかり。モット・ザ・フープル
●1975年 エアロスミス、ジャニス・イアン、日本デビュー。
●1976年 3月、ジャニス・イアンLP「愛の余韻」 7月、エアロスミスLP「ロックス」
●1977年
1月、<エアロスミス初来日>初めて自分担当のアーティストが来日
5月、チープトリック、日本デビュー
6月、ジューダス・プリースト移籍第一弾LP「背信の門」
7月、ザ・クラッシュ、日本デビュー
9月、チープトリックLP「蒼ざめたハイウェイ」
9月<ジャニス・イアン初来日>
●1978年
2月、ジャニス「追想の扉」(ライブ・イン・ジャパン)
4月、チープ・トリック「天国の罠」
4月、<チープ・トリック来日>
7月、ジューダス・プリースト来日
10月、EPICソニー設立に参加
10月、「チープ・トリックat武道館」(ライブインジャパン)
●1982年 クラッシュ初来日
●1983年 CBSソニーへ戻る
チープ・トリック『at武道館』、ジューダス・プリースト』イン・ジ・イ―スト』、ジャニス・イアン『追想の扉』と3枚のライブ・イン・ジャパンのアルバム制作、その中で2枚が世界発売。
その後ももろもろ担当&管理職で1990年に異動
●野中さんのプロフィールはこちらでくわしく
ニッポンの洋楽の立役者たち A&R・野中規雄インタビュー①
https://entertainmentstation.jp/8334
ニッポンの洋楽の立役者たち A&R・野中規雄インタビュー②
https://entertainmentstation.jp/8346
<喜久野さんのざっくり洋楽経歴>
●1973年入社 エイプリルミュージック
●その後洋楽へ異動。最初は宣伝
●1981年 ディレクターに。 最初の担当はジャーニー「ライヴ・エナジー」 。他ピンクフロイド「時空の舞踏」ディラン「SHOT OF LOVE」、そして ジャーニー「エスケイプ」その他もろもろ
●1982年 ビリー・ジョエル「ナイロン・カーテン」その他もろもろ
●1983年 ジャーニー「フロンティアーズ」、ビリージョエル「イノセントマン」、ピンクフロイド「ファイナルカット」その他もろもろ
●1984年 ブルース・スプリングスティーン「BORN IN THE USA」、「フットルース」その他もろもろ
●1985年 ブルース初来日。「ビリー・ザ・ベスト」 その他もろもろ
その後ももろもろ担当&管理職で1995年に異動(是非他のアーティストについてはは喜久野さんのブログで)
下記はお二人に聴きたかったことやトーク・ネタで調べておいたことなど。なんて、いろいろ聴きたいこといっぱいあったんですけど、この半分も聴けなかったかもです。。。
【エアロスミス】
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*初めてエアロスミスをやろうと思った時・・・最初の2枚はネグられていた
*クイーン、キッス、エアロスミス3大バンドへの道・・・圧倒的に数字では及ばなかった
*エアロの邦題の由来・・・Walk This Way 「お説教」、TRAIN KEPT A ROLLIN'「ブギウギ列車夜行便」SWEET EMOTION』(やりたい気持ち)、アルバムは『野獣生誕』『飛べエアロスミス』『闇夜のへヴィ・ロック』
*初めて名作「ロックス」を聞いた時 「バック・イン・ザ・サドル」を聴いた瞬間は?
*会社を休んだら「ロックスが凄すぎてレコード会社の担当者が熱を出して休んだらしい」という伝説に(ホントは風邪ひいた・・・)
*1977年の初来日公演
初日は前橋。「野中が故郷に錦を飾りたくてお願いしたらしい」=>実際はそんなことできるわけがなかった
*初めてメンバー会ったときの印象
*来日秘話など
*初来日の時はまだ上越新幹線が開通していなかったのでエアロスミスもトコトコと在来線を使っていたわけです。そして乗り換えの高崎駅のホームでメンバーが立ち食いソバを食べた
*伝説の武道館公演
・興奮した大貫憲章さんが自分のしていたネクタイを引きちぎった。
●来日スケジュール
1977年 1月29日群馬県スポーツセンター 1月31日日本武道館 2月1日 名古屋市公会堂 2月4日 福岡市九電記念体育館 2月6日京都会館第一ホール 2月7日フェスティバルホール 2月9日 日本武道館
●2/9武道館セットリスト
01.Mama Kin 02.S.O.S.(Too Bad) 03.Lick And A Promise 04.Sweet Emotion 05.Dream On 06.Last Child 07.Walk This Way 08.Same Old Song And Dance 09.Train Kept A Rollin' <ENCORE> 10.Toys In The Attic
●トークで語られたエアロスミスについての内容はこちらをご参照
https://ameblo.jp/high-hopes/entry-12449656876.html
【ジャーニー】
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*このバンドの日本でのサクセス・プロセスは洋楽アーティスト・デヴェロップ メントの貴重な成功例
*1981年2月ライブ・エナジーから担当、7月ESCAPE発売。
*CAPTURED という原タイトルを”ライブ・エナジー”に
●来日スケジュール
・1979年 4月12日 名古屋市公会堂・14日 大阪厚生年金会館・15日 渋谷公会堂・16日 東京厚生年金会館・18日 渋谷公会堂
・1980年 10月8日 渋谷公会堂・10日 大阪万博記念ホール(昼夜2公演)・11日 中野サンプラザ・13日 東京厚生年金会館
・1981年 7月27日 フェスティバルホール・28日 名古屋市公会堂・29, 31日 東京厚生年金会館・8月1日 中野サンプラザ
・1982年 4月9日 福岡サンパレスホール・11日 京都会館・12日 大阪フェスティバルホール・13日 大阪府立体育館・14日 名古屋市公会堂・16日 日本武道館・17日 横浜文化体育館
・1983年 2月22日 愛知県体育館・24, 25日 大阪府立体育会館・26日 福岡九電記念体育館・28日 京都府立体育館・3月1, 2日 日本武道館・4日 横浜文化体育館
*ボストンVSジャーニー~ジャーニー・リベンジ・ツアー
*ボストン1976年「幻想飛行」発売 1978年「ドントルックバック」EPICソニー第一号新譜として発売=>「ドントルックバック」は野中さんが担当した。ボストンは1979年4月、初来日武道館・・・ボストンのLive At Budokanを録音したけど、トム・ショルツが持ち帰って日の目を見なかった。ちなみに野中さんはジャーニーも1枚担当したことがあった。
*ジャーニーの初来日公演も1979年4月。これはEVOLUTIONツアーの一環。と全く同じタイミングで2枚目のDON'T LOOK BACKも大ヒット中のBOSTONの初来日公演。4月18日はJOURNEYの、元からきつかった東京三日目の渋谷公会堂。同じ夜BOSTON武道館公演の初日だった。東京公演に関しては、JOURNEYは2000人のホールクラスを3回。当時の彼らのセールスパワーで3回はギリギリだったはず。これに対してBOSTONは武道館3公演。全て即日完売。アルバムセールスでもバンドの人気でもぶっちゃけBOSTONに負けていた。ジャーニーの3日目の渋公はガラガラ、でもパフォーマンスはもの凄かった
*そこからCBSソニー、ウドー音楽、JOURNEYマネージメントの三位一体でジャーニーを日本で絶対ブレイクさせてやるぞと。1980年3月DEPARTURE発売。”お気に召すまま”のラジオ・ヒット。
*1979 年4月の初来日から1年半後の1980年10月に2回目。そして9か月後の81年7月。そしてまた9か月後の1982年4月。そして10か月後の1983年2月まで毎年、継続的に日本に来てくれた。リベンジをかけ3発続けて1年以内の公演を行なう
*1980年10月には2回目の日本公演。この時は東京3回ほぼ満杯に
*1981年 ESCAPE発売が7月21日。そしてその6日後の27日から来日公演をスタート=>発売日近辺に来日公演がセットされるなんて当時はあり得ない。
*1982年初頭リベンジツアー発表。ESCAPEツアーとして2回目の日本公演を行うという事です。
*1983年2月発売FRONTIERS。2月22日から武道館2回含んで今までの最大キャパを全てソールドアウト
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*来日秘話
・メンバーのお買い物。SONY製品が大好き。買い物ハイライトは、スティーブ・ペリーお買い上げのTOYOTAライトエース
・82年4月ESCAPEツアーで初めての武道館公演を大成功させて大祝賀会をホテルで
・FRONTIERSツアーでの大阪府立体育館のスタートを30分遅らせちゃった
・シングル曲、”クライング・ナウ”のラジオ用DJコピーは日本で勝手に編集しちゃった
1979 エヴォリューション - EVOLUTION
1980 ディパーチャー - DEPARTURE
1981 ライヴ・エナジー - CAPTURED 初のライヴ盤
1981 エスケイプ - ESCAPE
1983 フロンティアーズ - FRONTIERS
●トークで語られたジャーニー成功物語についての内容はこちらをご参照
https://ameblo.jp/high-hopes/entry-12449656990.html
【ザ・クラッシュ】
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*ザ・クラッシュとの出会い
*1980年1月、イングランド北部シェフィールドでツアーに同行。ライヴ見てたらいつの間にか一番前に。メンバーの靴をなでてた
*来日が決まったいきさつ
*ヤングミュージックショー(NHKのカメラが入ったのは、2月1日の東京・中野サンプラザ)、NHK-FMでの放送
*来日秘話
・ライヴでジョーが吐いてた
・団結のはちまき ジョーの腕に野中さんが描いた文字。ジョーにこの言葉を書けと言われた
・京都清水寺でのジョーとの写真
●来日スケジュール:1982年「ラットパトロール・ツアー」 1月24日の渋谷公会堂を皮切りに、東京で7回、大阪で2回、全部で7公演。
1月24日 東京 渋谷公会堂 1月25日 大阪 フェスティバルホール 1月27日 東京 中野サンプラザ 1月28日 東京 中野サンプラザ 1月29日 東京 中野サンプラザ 1月30日 東京 新宿厚生年金会館(昼) 1月30日 東京 新宿厚生年金会館(夜) 2月 1日 東京 中野サンプラザ 2月 2日 大阪 フェスティバルホール
●2/1中野サンプラザ・セットリスト
01. Announcer 02. Opening 03. London Calling 04. Safe European Home 05. Train In Vain 06. Washington Bullets 07. The Leader 08. Magnificent Seven 09. The Guns Of Brixton 10. White Man 11. Ivan Meets GI Joe 12. Brand New Cadillac 13. Career Opportunities 14. Janie Jones 15. Clampdown 16. This Is Radio Clash 17. Clash City Rockers 18. Armagideon Time 19. London's Burning 20. Fujiyama Mama 21. Police On My Back 22. White Riot
●トークで語られたザ・クラッシュについての内容はこちらをご参照
https://ameblo.jp/high-hopes/entry-12449657141.html
【ビリージョエル】
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*日本でのビリーのアルバム発売順
1975年11月21日『ピアノマン』(CBSデビュー作)
1976年8月21日『ニューヨーク物語』(第3作)
1978年1月21日『ストレンジャー』(第4作)★
同 4月21日『ピアノ・マン』(再発)
同 4月21日『ニューヨーク物語』(再発)
同 7月21日『ストリートライフ・セレナーデ』(第2作74年作品)
同 11月1日『ニューヨーク52番街』(第5作)
1980年 『グラス・ハウス』
*野中さんはビリーを担当するかもしれなかった(ストレンジャーの時):アルバム発売の数ヶ月前に前任者の菅野ヘッケルさんからモット・ザ・フープルの時と同じように「野中、次からビリー担当しない?」と打診されていたが断ってた。新譜会議で音聴いた。口笛聴いてこりゃ売れると。担当取り戻すか?=>できるわけがない
*初めて喜久野さんが担当したビリージョエルのアルバムはナイロン・カーテン(1982年10月発売)。ロックマーケットへ。新たなファンの獲得を目指した
*イノセント・マンで大ブレイク。大成功物語
*ビリーはいつもフツーにイイ奴。奥さんが中座すると肉とたばこ
●来日スケジュール
1978年 "The Stranger Tour" 4月23日 中野サンプラザ、4月24日 大阪厚生年金会館
1979年 "52nd Street Tour" 5月21日・22日 日本武道館
1981年 "The Glass Houses Tour" 4月15日・16日,17日 日本武道館、4月20日・21日 大阪府立体育会館、4月22日 愛知県体育館、4月24日 京都府立体育館
1984年 "From a Piano Man to an Innocent Man Tour" 5月21日・22日 日本武道館、5月24日 大阪城ホール、5月26日 福岡国際センター、5月28日 名古屋市国際展示場、5月30日・31日 日本武道館
1987年 "The Bridge Tour" 6月8日・10日 国立代々木競技場第一体育館、6月12日・13日 大阪城ホール、6月16日・18日・19日 国立代々木競技場第一体育館
1988年 "KIRIN DRY GIG'88" 7月24日 東京ドーム
●トークで語られたビリー・ジョエルについての内容はこちらをご参照
https://ameblo.jp/high-hopes/entry-12449657258.html
【ブルース・スプリングスティーン】
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*喜久野さんブルースとビリーとは同じ学年。ブルースとは互いが24歳の時から付き合ってる
*音楽出版時代、『春青の叫び』(誤植)が繋いでくれたアーティスト、
*BORN IN THE USA発売。私も彼も34歳。
*ライブ初体験は1978年12月31日クリーブランド・・・チケットwillcallにない事件。やさしい業界関係者がくれた。アフターパーティでボスに会う。
(*1978年に野中さんもブルースを見てるはず)
*CBSソニーに入社したのが1973年、最初の配属が出版部エイプリルミュージック。"春青の叫び "を聞いて日本国内でのサブ・パブリシング・ライツを取ろうと思った。3年間で3000ドル。当時の為替で75万円くらい
*たぶん最初に”BORN TO RUN ”聴いた日本人。
●来日スケジュール
1985年 Born in the U.S.A Tour
4月10日, 11日, 13日, 15日, 16日 国立代々木競技場第一体育館、19日 京都府立体育館、22日, 23日 大阪城ホール
1988年 A Concert Human Right Now
9月27日 東京ドーム
●セットリスト(1985.4.10 @国立代々木競技場(オリンピックプール)
(1部)1 BORN IN THE U.S.A. 2 OUT IN THE STREET 3 DARLINGTON COUNTY 4 WORKING ON THE HIGHWAY 5 JOHNNY 99 6 ATLANTIC CITY 7 THE RIVER 8 PROVE IT ALL NIGHT 9 GLORY DAYS 10 THE PROMISED LAND 11 MY HOMETOWN 12 BADLANDS 13THUNDER ROAD (2部)14 COVER ME 15 DANCING IN THE DARK 16 HUNGRY HEART 17 CADILLAC RANCH 18 DOWNBOUND TRAIN 19 I'M ON FIRE 20 PINK CADILLAC 21 BOBBY JEAN 22 RACING IN THE STREET (アンコール1)23 BORN TO RUN 24 RAMROD (アンコール2)25 ROCKIN' ALL OVER THE WORLD 26 TWIST AND SHOUT ~DO YOU LOVE ME
*エージェントからウドーさんへ打診が入りましたが、問題は会場。
*東京は正式には、国立代々木競技場第一体育館5回(4回発表し、追加で1回)。 大阪は大阪城ホール2回。そしてジョン・ランドウの個人的な希望で京都公演1回が決定した。総キャパ75000人
*来日決定の情報は、ウドー社長から直接電話いただいた。"スプリングスティーンの来日決まったよ"の一報には、嬉しくて涙ぐんだ。あの人が来る!いよいよ来る。って感じ。
*2月28日に朝6時から新宿第一生命ビルで整理券配布。(ファンの方の記録だと)3月1日早朝に表参道のウドー音楽事務所に並んだ。この頃のウドーさんは、まずこの整理券配布から始まる。ブルースに関しては整理券も数千枚発行したと聞いている。発券(発売)も大変な作業。この頃から表参道での混乱を避けるために大型ライブの時は西新宿でやっていたらしい。
*来日中のプロモーションに関わる取材は一切ナシだと当初から言われてた。ライブ取材に関しては、スティール写真は冒頭3曲のみOK、それだけだったはず。後には、ニュース映像に限りワンカメで1分のみOK、
*ワールドツアーに同行している専属のシェフから、"自分がブルースのために調理をするスペースを確保してくれ"と。滞在中は駐車場のカタスミをBBQよろしくキッチンとして使用するところまでホテル側から了承。キッチン問題、結果そこまでの必要はなく、換気をどうしたのか忘れたがガスコンロを部屋に持ち込んでキッチンにしていた
*車:本人からの強い希望で、自分はバンドと一緒に同じワゴン車に乗る。そして唯一のお願いとして、助手席を自分の指定席に
*1985年4月7日 JAL 772便でシドニーから18:00到着
*4月10日。代々木オリンピックプールです。会場付近の雰囲気、まじに異常
*客電落ちてから場内にとどろき渡る”BRUUUUUCE"の地響き
*アンコールで客電付けた瞬間に始まったBORN TO RUN のイントロ
*1部2部の合間に2部のセットリスト作成。これは毎ショーの事、1部のオーディエンスの反応みながら2部の構成をつくりあげる
*Eストリートのメンバーも1、2部スタート直前にしか、演奏曲目を知る事はできない。レパートリーは70曲以上
急遽日本スタッフが一人楽屋に呼ばれ、彼に”これは日本語では何って言うんだ?それはどう発音するのか?”と*pink cadillac、アダムとイブの話をギター・リフにのせて語りを入れるところで日本語をかます。temptation,sin,apple,などを”ユウワクとかツミ、リンゴ”って可愛くしゃべってた。
*pink cadillac日本公演では初日のみでのプレイ。2日目はgrowin' up=>それもやめ、三日目からは1曲分減ったまま8曲の構成に
*2部の締めはBobby Jean~racin' in the street。クールダウンして静かに終わるのを好んでたけど、日本の反応を見てracin'は2日目でやめた
*3日目。2部のシメ曲としてracin'の代わりに選んだのがROSALITA 以降日本では毎ステージで。
*東京でのオフの日は、原宿のジムに通ったり、皇居前をジョギングしたり。もちろんキディランドも
*赤坂見附から新宿まで地下鉄丸の内線に乗った
*クラレンスが取材日に姿消した。トンズラ。
*性格がいいニルスに"ホント急だけど、雑誌のインタビュー追加で何本かやってくれる?"とか何とかお願いしたら、全くイヤな顔せず、午前中から夕方までめいっぱい頑張ってくれた
*東京での5公演が無事終わって、CBSソニー主催のウェルカム・パーティが銀座ソニービル地下、マキシム・ド・パリにて開催されました。
*京都大阪へ。スプリングスティーン、初めて乗る新幹線にやたらご満悦で、車窓からの富士山の美しさにgreat,beautiful連発でした。すごく無邪気な笑顔。東京で買ったばかりのカメラでパシャパシャ富士山も撮ってた
*19日京都公演はジョン・ランドウたっての希望で成立した。
*京都では清水寺、金閣寺などの王道を観光し、祇園から四条河原町あたりを散策。
*ビリー・ジョエル初めてのベスト盤が出るという事で一度東京へ戻る。
*京都公演でのthe promised landプレイの前に、"バッファローまで来てくれた友人に今日午後ここで会った。その彼のために"と
*広島へ。京都終わって大阪公演始まる前なので、きっと4月21日だったかも。一行は本人、ジュリアン、ジョン、パーソナルアシスタントのジム他5~6人にウドーのツアマネと私の7.8人で大阪から広島の原爆資料館の見学に。ブルースの中では日本に向かう前に、訪問すること決めていたのかも。見終わった後あまりにも沈んでいた。まるで自分のせいかのように
*この広島帰りの夜、スプリングスティーン、ジュリアン、ジョン達5~6人でホテル内レストランで食事
*大阪城ホール最終日には、”毎日熱い応援ありがとう”の意味を込めて、最前列にいた二人の少年をちょっと早目に出口通路に待たせておいて、自分が使ったハーモニカやピックを記念にプレゼント
*名曲BACKSTREETが大阪で初めてプレイされた理由は、このファンからの熱いリクエストがあったから
*"彼は、自分が訪れたところ、そこに自分が来たという証を残したい、といつも思っている"。
"初めての地では必ずそうしている。20000ドルですが、恵まれない人々を援助したい"ということで交通遺児母の会へ募金
*日本公演の大成功を祝して男達だけで祝賀会を開いた
*パティとはこの時点でデキてたはず
みたいなことが全部下記に書いてあります
●トークで語られたブルース・スプリングスティーン来日物語の内容はこちらをご参照
https://ameblo.jp/high-hopes/entry-12449657588.html
【その他】
●喜久野さん
1988年
3月上旬にPINK FLOYD久しぶりの日本公演
3月中旬MICK JAGGERの来日公演&寺田倉庫パーティ企画
5月にBOZ SCAGGSの8年ぶりの新譜OTHER ROADS発売。
7月CBSソニー20周年企画としての7月のKIRIN DRY GIGS。ここでは、このイベントにあわせた企画商品、THANKS FOR YOU(7月発売)とSTARBOX 6Tを8月発売。GIGSでは、BILLYとBOZの二人の担当者として右往左往
9月のアムネスティでのスプリングスティーン来日公演。3年ぶりです
●野中さん
*ジューダス
https://ameblo.jp/shachorirekisho/entry-10196765125.html
1978年の来日。チープトリック、ジャニス・イアンに続いてのライブ三部作「at BUDOKAN」というタイトルを上回るタイトルは難しい・・ジューダスの小屋は中野サンプラザと新宿厚生年金だったし。悩んだ末に「In the EAST」とした
*チープトリック
・ここで聞かれる観衆の悲鳴が「ビートルズのようだ」とボストンのFM局が日本からの輸入盤を紹介したのがキッカケで「チープ・トリックat武道館」はアメリカで400万枚も売れた。私が担当したアーティストの中で最大の数字を挙げたのがこのチープ・トリックということになる。
・本国ではまだ余り売れていないバンドをスターに仕上げる。その作業はディレクターにはたまらなく充実感のある仕事だ。
・今から考えれば洋楽の日本化ということになるのかシカゴやクイーンは日本語で歌ったりして、今から考えるとかなり無理があるけれど意外とそれがヒットしてた。
・或いは日本だけのシングルカットや歌詞と全然関係ない日本語タイトル、イントロが長いと勝手にカットしたり
お越しいただきました皆さまありがとうございます。1時間だったので語り切れませんでしたが、詳しくは、こちらのブログで詳しく書かれていますので、詳細は是非こちらでご覧いただければと。
●野中さん
レッツゴー!元日本洋楽研究会
https://ameblo.jp/nihonyogaku/
旧)元会長の「ロックンロール黄金時代」
https://ameblo.jp/golden-rock/
旧)社長の履Rec書
https://ameblo.jp/shachorirekisho/
●喜久野さん
業界のカタスミで細々と~涙のサンダーロード
http://blog.livedoor.jp/skywalker1950/